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1993年5月8日夕刻、ここちよい肌寒さの中、東京新橋の汽車ぽっぽ前に懐かしい顔がそろった。

日本で会うことの違和感を集まったみんなはお互い感じていたのではなかろうか。 その後、遅れてきたメンバーも居酒屋「太郎丸」に合流、集まったメンバーは約20名ほどであった。 1980年代後半から90年代前半、主に日系企業の香港駐在員、日本人学校の先生、あるいは日本領事館員など、 香港でドラゴンボートを漕いだメンバーである。当時のチーム“香港ジャパニーズドラゴン(香港日本龍)”は、 通称ヤップンロンという名称で現在も香港の日本人社会に愛されている。

宴席は香港時代のドラゴンボート話で盛り上がり、「日本でも漕ぎたいね!!」がその場で、 「じゃあチームを作ろう!!」と話はとんとん拍子で進み、急遽設立総会となった。 チーム名、役員など和気藹々と決まり形はすべて整った。 その時点では、「漕ぐ場所がない・・・」、「舟もない・・・」、「メンバー足りるの?」、「試合はあるの?」 そんなことは、酒の酔いもあって誰も心配するものもいなかった。

その後、具体的な活動はなかったものの、7月24日大阪天神祭り奉納「日本龍舟選手権」にデビュー戦として出場し、 男女混合の部で第5位となった。メンバーは、久しぶりの再会とドラゴンボートを漕ぐ爽快さを満喫した。 それは、当然の成り行きとして、「もっと漕ぎたい!!」、「東京でも漕げる場所はないだろうか?」、 「何とか舟を手に入れられないだろうか!!」、すべてのメンバーにそんな思いを持たせたに違いない。 そんなメンバーみんなの強い思いは必ず成就するものだ。

その年の10月に大阪に本拠地を置く日本龍舟協会が関東地区での普及も目指すべく わがチームにミニドラゴン(練習用の舟)の貸与を決定してくれた。 しかし、「置く場所がない!!」「練習場所もない!!」状態は1年以上続くことになる。 戸田の早稲田大学ボート部の艇庫に置かせてもらい練習した年もあった。 その間も、メンバーは自治体への粘り強い働きかけを続ける。

そして、チーム創設から2年、水辺の交流促進を掲げる江戸川区の強力なサポートのおかげで、 現在の艇庫である西葛西の新左近川マリーナを拠点に活動できることとなった。 −「熱い思いは必ず実現する!!!」−記念すべき1995年5月13日(土)艇庫獲得に ご協力いただいた区議会議員川口俊夫先生を招き入魂式を行い晴れて水上練習を開始した。

その後、クラブは、香港帰国者中心のメンバー構成から、 東京に在住の水上スポーツを愛好する若者から自称若者、学生、主婦、外国人など 年齢・職種問わず幅広いメンバー100名以上が入会するまで発展している。